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j-top >> featured >> KNAC interview with Robbin Crosby (2001) part 2 *
Last update: Jun. 3, 2005
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Robbin Crosby in his own words

July 16, 2001 / KNAC.COM

interviewed by : Mitch Lafon / © Mitch Lafon all rights reserved

**このインタビューは2001年の5月に行われたものです**

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part 2

3枚目のアルバムを出すまでは、メンバーの俺に対する眼差しは「で、Robbinはどう思う?」という感じだったんだ。締めの言葉を俺に求めてくる んだね。どうしてそうだったのかは知らない。もしかしたら、当時彼等には俺のほうが大人に見えていたのかも知れないな。彼等は大人としての行動ってものに まだ慣れていないようだったから。俺のことを信頼してくれてたんだと思うんだ。俺のニックネームは「キング」だった。

こう言うと彼等は否定するかも知れないが、本当のところを話そう。Invasion のツアーが終わるまでは俺は「キング」だった。でも、Dancing (Undercover)のツアーの最中、俺はその「キング」の座を降りたんだ。例えて言うならね。もうメンバー間の争いを処理することは俺にはできなかった。俺の手には負えなかったんだ。誰と誰がケンカしてるのかは日によるんだが、大抵、俺かStephen対他のメンバーだったな。


RATT - Dancing Undercover era(Laurie)とはInvasionのツアーの終わり頃に出会った。家でも俺は疲れきっていた。それでヘロインを吸うようになったんだ。それは儀式のようになっていった。当時は1日あたり数百ドルをドラッグに費やしてたよ。ドラッグにハマったのは…それは俺を気持ちよくしてくれるし、(大酒を飲んだときのように)つぶれることもなければ、二日酔いもないからだった。こいつはいいと思った。そして俺は「大丈夫、俺はああはならない」「大丈夫、俺はいつでもやめられる」という生活(*中毒者がよく言うセリフ)に頭から突っ込んでいった。

それからDancing (Undercover)のレコーディング・セッションがあった。辛い作業だった。納得いかないことだらけだった。俺達は一体誰の曲を演奏しようとしてるんだ?

でも「7th Avenue」にはポテンシャルがあった。ヒットしたわけじゃないにせよ、Warrenが書き上げた時点で素晴らしい曲だったんだよ!

Warrenは(音楽以外のバンド活動に)消極的になった。そのお陰で雑誌の表紙になったのは 俺とStephenばかり。Warrenは寡黙だし、記者が喜んで掲載するようなことは言わないタイプの人間だった。Warrenはインタビュー素材には 向いてなかったから、記者がインタビューや写真撮影を俺とStephenに頼んでくるのは仕方のないことだった…俺が望んでそうしたわけじゃなかったけれ ど、そういうこと(露出の機会が多いこと)も、俺がバンドの皆から疎まれるようになった原因なんだ。


ある時、Howard Sternの番組に出ることになった。俺は当時Howard Sternがどんな人間だか知らなかったんだが。まだ彼は「神様」じゃなかったからな。

俺はTawny Kitaenと数年つきあってたし、Apolloniaとデートしたこともあった。そしてその(Howard Sternと会った当時)ときは、妻だったLaurie CarrがフィーチャーされたPlayboy誌が出たばかりで、俺と彼女が一緒に写ってる写真もその号に載ってたんだ。Howard Sternが番組で話したかったのはそれだったんだよ。

SternはRATTに関して、「Round And Roundは好きだ」と言ってたが、バンドについては何一つ知らなかった。その番組にはStephenと一緒に出たんだが、Howardが番組で話した かったのは俺とLaurieのことだけだったのさ。そしてその日の俺のインタビューは、ニューヨークとニュージャージーに流れた。少なくとも20のキー・ ステーションにそれは流れ、番組を聞いた人たちは皆「今朝のHoward Stern Showで君のインタビューを聞いたよ。サイコーだった」と言ってくれた。

が、バンドのもとに戻ってみると、「よかったじゃないかキング!一体何が目的であんなことをしゃべってきたんだ?RATTのことはどうしたってんだ よ?」といった感じで彼等に出迎えられた。それからしばらくの間、皆の俺に対する視線は「F**k You」と語っていた。それがバンドの答えだった。

わかるかい?冗談じゃなかったよ。彼等は一晩中パーティしてた。俺だってしてたさ。だが、俺はそれでも必ず朝には起きて、次の街に向かい、そしてイ ンタビューをこなしたんだぜ。なぜならバンドの誰もラジオのインタビューなんてしたがらなかったからさ。なのに誰からもThank youとは言われなかった。Thank youの代わりに俺が受け取ったのはF**k Kingだった。メンバーは俺がただ目立ちたくてそうしていたと思ったんだろう。バンドを助けたくてやったことなのに。

今までに俺のインタビューを読んだことがあるなら知ってるだろう、俺がずっと「俺達は親友同士なんだ」と嘘をつきつづけてきたことを。でもそれ(「親友同士なんだ」)は俺が夢に描いていたことでもあったんだ。

俺とWarrenは幼なじみだ。彼の9年生の卒業式で俺は演奏した。Warrenがギターを実際に手にするよりも前の話だ。だから現状は俺を傷つけた。本当に深く。


Dancing Undercoverの話に戻ろう。ツアーの内容はすっかり変わっていた。まだ大規模な会場ではあったが、Bon Joviとのツアー程ではなかった。

Dancingのツアーは波にもまれる様だった。今度のツアーはPoisonとだったが、また(Bon Joviのときと)同様のことが始まった。Bret (Micheals)はStephen の動きや彼の衣装、演出やメイクアップを真似し、そしてPoisonは俺達のショウ全体を真似た。ツアーに同行したPoison以外の人間はとにかく彼等 を嫌い、マネージメントにPoisonをツアーから外すよう懇願した。結果、Poisonは途中でツアーを降り、代わりにQueensrÿcheが 俺達のオープニングに起用された。するとチケットの売上が見る見る内に急降下した。QueensrÿcheとRATTなんて最低な組み合わせだ。俺達は パーティ・バンドで、片やQueensrÿcheはダークなタイプのバンドだもんな。うまくいくはずがなかった。それで俺は皆がうんざりするまで Poisonをツアーに戻すよう頼み込んで、ツアーは急に再び息を吹き返した。

2年くらい前、MTVにWarrenが出て、彼が「振り返ってみると…僕にとっては、全て楽しかったとは言えない時代だったよ」と言っているのを見た。ショックだったね。俺が何とか楽しく過ごそうと骨を折っていたときに、そうできないようにしたのは彼等自身だったのに。

バンドはあの時点で解散すべきだったんだろう。でも、あの時は再び大ヒットアルバムを出したいと思っていた。そして、俺達はまさにReach For The Skyこそがそれだ、と確信していたんだ。


RATT - Reach for the Sky era俺 達は新しいプロデューサーと仕事をすることになった(これが大間違いだった)。最高のドラム・サウンドと最高のギター・サウンドを得ることが出来たんだ が、そこで突然全てが水の泡に、本当に徒労に終わりそうになったんだ。ベースのチューンがズレてたんだよ。みんながJuanを責めた。俺は一体何事が起 こったのか見当もつかなかったんだが、プロデューサーを含めて、みんなの頭をコカインが吹っ飛ばしてたってことだけは事実だった。狂気の沙汰さ。

俺達はキャリアの中で初めての1年に渡るオフを取っていたんだが、実際はその1年はこのレコード(Reach For The Sky)に注ぎ込まれていたんだ。

とうとうAtlantic (Records)が、とにかく何曲かデモを聞かせろと言い出し、それからMike Stoneを即座にクビにした。そしてレコード会社は既に録音したものを救い上げるために、Beau Hillを呼び戻した。Beauこそが俺達への答えだと、レコード会社が判断したからだ。

サウンドは素晴らしかった。バンドも言うことなしだった。でもStephenは…。このアルバムには既に80万ドル(約1億円)の金が注ぎ込まれていたにも関わらず、レコード全体としてはてんでなっちゃいなかった。

Beauが修復のために戻ってきたとき、彼は(既にレコーディング済みの曲のなかには)ヒット するような曲がないと思ったようだった。そこでBeauとWarrenとで再度作業した結果、Way Cool Jr.が生まれた。全てのリズムトラック、ギター、ドラムトラックは終わっていたが、ヴォーカル録りは全てBeauが来てからやったんだ。Stephen とBeauには決まったやり方が出来上がってるようだったが、その方法は当然他のメンバーに歓迎されるものではなかった。それでも、その方法が唯一 StephenがStephenらしく聞こえるやりかただった。

Stephenは俺達とリハーサルをしないから、俺達には、この演奏に対して一体どんなヴォーカル・ラインが乗るのか、一体どんな曲になっていくのかが全くわからなかった。これには俺とJuanが特に参ってしまった(この2人はバッキング・ヴォーカルを入れなければならなかったから)

彼がリハーサルをしたがらないのはレコーディングに限ったことではなく、ライヴに関してもそうだった。大抵ツアーが始まる1週間くらい前に現れて、セットを一通り歌う、それだけだった。俺達はバック・コーラスをどう歌えばいいのかを知らなくてはならなかったんだがね。

それには本当にイライラした。なぜならStephenはシンガーのお手本みたいなタイプではなかったからだ。彼はオフ・キーで歌うし、そのラインも毎回ちょっとずつ違うもんだから、彼とちゃんとハモるのは殆ど不可能だったんだ。


Stephenはハイ・スクールでよく俺のところに来て、一緒にジョイント吸いに行ったり、ロックしに行ったりした。そしてさっきも言ったように、 俺とWarrenは幼なじみだ。その事実が、こうして話しているだけで俺の胸に突き刺さる。大好きな奴等と一緒にいたおかげで俺の夢はかなったのに、(その後大好きな奴等との)関係は悪くなるばかり。当時はどうしてこんな風になってしまうんだろうと思うばかりだったが、それ(そうした矛盾)が俺をますますドラッグにのめり込ませていったんだ。目にするあらゆるものごとが俺の内面を傷つける。もう耐えられなかった。そしてまた言い合いがあり…俺はドラッグに逃げ込む。

Reach For The Skyのときの1年間のオフがいけなかったんだと思う。俺はツアー中にドラッグをやったことはなかったんだ。最初の2週間はCold turkey(=ドラッグが身体から抜けている状態のこと)で いられたんだが、Reachの時期を乗り切ることは俺にとってとても難しかった。なぜなら、その1年間のオフからずっと孤独だったからだ。バンド内部には 対立があって、メンバーはそれぞれ家族と共に過ごしていたから、俺達全員が別々の時間を過ごしていた。再び集まったときに、みんなにやる気があって、家庭 のことは二の次にしようとしていたのはわかっているが、俺は最初から知っておくべきだったんだ。彼等が結婚したのは俺じゃないんだってことを。

Reachのツアーは3週間で終わった。ハプニングでそうなったんじゃないってことは、君も知っているだろう。俺達を消耗させるよりは、そうしたほ うが賢いように思えたよ。もともとツアーで儲けようとはメンバーの誰も思っていなかったから、俺達は打ち切りを素直に喜んだんだ。その後予定されてたショ ウも、特別よさそうではなかったしね。俺にとってはよさそうでも悪そうでも構わなかったんだが。

一度でもMSGやL.A.フォーラムでやってしまうと、他では気合が入らなくなるタイプがいるようだが、俺はいつでも全力で取り組むよう努力していた。それでこんな手紙を受け取ってみろよ。「僕等はアーカンソーのBug Tussleから3時間ドライヴしてRATTを見に行きました。RATTのライヴ、本当にかっこよかったよ!」…気持ちよくなるってもんだろ?


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Japanese Translation By: Nao

Copyright © 2001- Nao / The RATT GANG.com. All rights Reserved. No reproduction or republication allowed without written permission.

日本語訳は全てNaoによるもので、訳文に関してはいかなる権利も放棄しておりません。無断転載不可

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